雨が降らない日

「遅れてごめんね」と言うと、目の前の彼はコーヒーを一口飲んで、微笑んだ。笑った時に目尻にできた小さなシワが好きだった。
別れ話をしに来たのに、思ったより今日のAくんがかっこよくて、少し勿体なくなった。あっちはまだ振られるってわかってないから、未来は私が完全に握っていた。AくんはじぶんのiPhoneの画面を一瞬見て、テーブルにその面を下にして置いた。私と遊ぶ時はいつもそう。その優しさが今日は痛かった。

お互いに近況報告をした。そしてそのあと少し間が出来た。Aくんは暇になってしまったのかテーブルに刺してあったボールペンで、紙ナプキンに絵を描き始めた。どうやら、最近流行りのキャラクターらしかった。描いてる途中でそれが分かるくらい、Aくんは絵がうまかった。

注文したアイスティーが届き、ストローをさしてひとくちのんだ。なかなか次を話し出すことができない私をなんとも思ってないのか、Aくんは鼻歌を歌うように話し始めた。

「筒の部分が透明なペンってさ、インクが切れるのが外から見えるじゃん。あ、もうすぐインク無くなっちゃうんだな、とか、まだ沢山残ってるな、とか。」
「俺はさ、それが嫌なんだよね。俺は、油性マジックみたいにまだ使えるのか終わるのかわかんないようなのがいいんだ。それに油性マジックはペンに比べて使う頻度が低いから、なかなか減らないんだよな。」
そこまで話して、Aくんはコーヒーを啜った。私が黙ったままだったからか、笑って
「でもボールペンと違って、蓋をしめなかったら乾いてダメになっちゃうんだよな。」
と続けた。もうダメだ。私はこの人と付き合ってられないんだ。

「別れたい」、思ったより大きな声が出て自分でも驚いた。Aくんの顔を見ながら、道中で見かけた蝉の死骸を思い出した。もう、夏も終わるんだね。グラスの結露が、コップの表面を伝っておちていく。したにくだるごとに、小さな粒をどんどん吸収して、大きくなって落ちていく。今どんな気持ち。Aくんは、私の目を見て、自分の空になったグラスに視線をうつして、またわたしをみた。

「明日も、明後日も、その次の日も、来月も、ずっと一緒に居られると思ってたよ」、Aくんの声は少し震えていた。いたたまれなくて一瞬逸らしてしまった目をAくんの方に向けた。私は顔を強ばらせたまま、何も言えずに目だけ合わせていた。Aくんは、少し笑っていた。

わかっていた。きっともし泣いたとしても笑って私の選択を許してくれると。あと、多分本当はこうなることも少しはわかっていたんだろうな、と。恋愛は、乖離があった。憧れだった。きっとまたAくんは新しく、ずっと良い人と恋愛をして私の事なんて忘れちゃうんだろうなとも思った。大きな青い空の下、蝉がまた1匹死んだ。わたしは。