私の星

自分が普通の女の子だな、と世界を諦めたのはおそらく小学校低学年くらいだったと思う。周りの子がキラキラして見えたから。さえちゃんは色が白くて顔が可愛かった。ゆなちゃんもおっとりしていて髪がつやつやで、なんでも知っていて好きだった。私は抜けていて、いつも何もよく分かってなかった。そういえば、小学校1年生の頃上級生に私のファンクラブがあった。毎休み時間「はらだわかこちゃん」を6年生の女の子たちが10人〜15人くらいで見に来て、話しかけたり、眺めたりしていた。
私はと言うと、保育園年長さんのときに家族でいった香港の動物園のことを思い出していた。あのとき人だかりができていたパンダの檻、きっと中にいたあの子はこういう気持ちだったのね、と。私ってずっと見世物みたいだった。何がそうさせたのか分からない、授業参観で学年の先生は全員うちの母に挨拶し、「わかこちゃんはすごく人気がある」だの「どうしたらあんなに可愛い子に育つのか」などを聞いていた。今思えばかなり異常な生活だったか、私はそれでも自分のことを普通でつまんない、と思っていた。なぜなら、クラスメイトの好きな男の子が、私を好きにならなかったから。
早熟、と言わないで、私はいつも好きな人の好きな人になれなかった。上級生の私のファンを後ろにぞろぞろ連れて図書館に行くみたいな、そんな熱量より、好きな男の子から1回でも「好き」って言われたかった。童話の、王子様に選ばれるお姫様になりたかったのに。

好きな人の好きな人になることに、高校生まで拘る人生だった。大学生からはというと、好きな人の好きな人になることが何故か容易になった。不思議だった。そして、私は付き合った男性を必ず泣かせた。私が我儘すぎる時、私が悲しそうにしてる時、私が喜んでる時、私が欠伸をする時、私がその人に真剣に向き合った時。自分に沢山の素敵な価値があるように振る舞うのが得意だった。「強くならないと大事なものは守れない」と教えてくれた人がいた。私は、私の周りの人を幸せにしたかったし、守りたかったから、それなら私に素敵な価値があると思わせた方がいいと思った。素敵だと思ってる人に言われる言葉は宝石みたい。私は宝石を配って回れるように、努めて暮らしていた。

私の思考が好きな友人は、私と話す時にたくさんメモをとる。友人は、私のことを「何においても深くたくさん思考しすぎ」と言うが、その思考の回数によって得られた私の持論なんかをみんな当てにするのだから、財産と言えるでしょう。私が笑ったとき、アドレナリンが出る体にしてあげたい。私が冷たくあしらう時、酷く傷ついて欲しい。「好き」とはリスク。執着は私への降伏。傷つけて欲しくないなら最初に言っといて。でも、向き合って欲しいなら傷ついて。

普通の女の子って言わないで欲しい。でも、変わり者とも言わないで欲しい。私が宇宙から来たって言う時、どうせ鼻で笑うんでしょう。ただの鉛の塊を大切に持っていて、それはなんの価値もありませんよなんて言われてしまったら。そんなこと言ったら貴方だってただのたんぱく質の集まりでしょう。私のよく分からない部品を、宇宙船のパーツにしてくれるような、そんな人だから好きだったのに。

人に何言われても私の価値って変わらないよ。
23歳の最後までずっと取っておく予定のおまじないも、別にもう要らないか。人に言われて下がるような価値なんて、最初っから無いようなものだよ。私たちは、自分で自分の価値を決められるし、そのレートを理解してる人間だけ置いてたらいいじゃん。星に帰りたいって思う日も、地球で眠らせて、と思う日もそれぞれ大事にしたらいいじゃん。人は誰かを、声から忘れるの。そう言ってくれたあの子の声ももう今は再生できないでしょう。