魚の目

全部が壊れそうな毎日。みんなが少しずつ無理をして何とかなっている部活動。テレビに映る誰かがちょっとだけなにかを皮肉った。私はと言うと、テレビの電源を抜いていた。好きな誰かについて理解したい時、どうして最初から全部を知りたくなってしまうのかな。明日の天気はまだ見てないけどおそらく雨で、明後日はきっと晴れ。

私が明るく歌える日が、あの子にとっては悲しく泣いた日だったんだ。でも、そういうのって逆も然りじゃん。ハンカチを渡すのがいいのか、何も知らないように普通に暮らすのがいいのかわからない。どこかで雨が降っている時に、どこかで雲ひとつない晴天が広がっていようと、私は文句を言えないよ。買って渡せていないお土産を、また今日も渡せなかったなと思って見つめた。これをずっと繰り返して、この無機物は違う誰かに渡してしまうんだろうな。私と話す時だけ露骨に声のトーンが低くなるのも、目をなかなか合わせてくれない瞬間も、本当は気づいているけど知らないフリして生きてくの。これ以上、この人の世界のノイズになりたくないから。

私ってちゃんとこういう意識もあったんだ、と最近驚いた。自分のことしか考えられず、自分の下す価値判断が好きだった。自分にしか興味が無いのも好きだった。やはり、人について考えると苦しい。自分がどう見られたいかについて考えるのももっと苦しい。こういう気持ちが苦手、だって考えても本当のところは私は絶対知り得ないから。私の知らないフリの価値。何にも気が付きたくないよ。