小川

帰路、BGMは無かった。半年以上前のことなのにまだ夢に出て魘されるのか。人や物に執着しない。手放すことの楽しさを覚えたのが20代の頭というのは、なかなかに贅沢な子。整理整頓。必要最低限とは言うけれど、持ちたければもう少し持ってもいいよ。部屋が散らからないような暮らし。

忘れた時に来てくれるような、そんな苦しいのが嫌だった。胸が痛い。涙が出てきそうだった。私は自分のこと世界で1番美しいとも、1番醜悪とも言わないよ。好きになってもらえる才能が無かっただけ。人を試すようなことも、全部面倒くさかった。私に向き合って欲しかった。私は大きくて小さい。全部が許せて許せない。長い前髪が好きだったのに、好きじゃないふりをしてしまう日もあった。私を試すなら、とことん付き合って欲しかった。39回目のノック。転校生がきたらよかった。友達とか、そういう言葉を使うからわからなくなるんだ。私が死んだ日に産まれた子どもを祝福しないでなんて言わないよ。不幸と幸福が別々に降ってきても、私はどちらも私の元へ来てくれてありがとう、と抱きしめたいと思えた。

社会人になって、学生の頃より諦めが悪くなったようにも思う。大学生よりずっと楽しくて、高校生よりずいぶんやりにくい。毎日がキラキラとは思わないが、絶望する頻度も減った。気持ちがロケット鉛筆みたい。全部サウナ。暖まって、冷たくなって、また暖まる。幸せになって、不幸せになって、また幸せになる。戻ってきただけのように見えるけど、そんなことない。「整う」から、私たちは繰り返しに身を置くのでしょう。

仕事中、目がチカチカして椅子から立った。世界がキラキラしすぎていた。今日は雨だし、私はお客さんに怒られていたし、仕事は山ほど溜まっているし、普通の人ならため息をついちゃうような時間。でも、1個ずつ考えなきゃと思った。お客さんのご要望は、できる範囲で叶えてあげたいし、私の不手際だったら真摯にまた対応したかったし、仕事も寝る時間を削ってでも丁寧に1個ずつこなしたかった。気持ちを小川のように、静かにゆっくり、細く細く持った。みんなの不幸も、きっと気持ち次第かなと思えた。元気がない時は下手に動かないで、元気を溜めたらいいしと思う。ゆっくりでごめんね。また生き急ぐとき、私が輝いて見えなくなるであろう。