不幸の湯

不幸のお湯があるなら、それはきっとぬるま湯であろう。
冷たくて、少し暖かくて、上がろうとしても上がれないのだ。

サウナと冷水のように、ストレスと幸福を行き来すればきっと整うのになと思う。熱い環境に身を置く覚悟も、態を食らう体力もなくなった。ぬるい湯につかって、明日のことは考えずに目を閉じるというのは、甘えと言われてしまうだろうか。

自分の不幸せを嘆くのは気持ちいい。
不幸せに、不遇に全部甘えて、それは全部私のせいではなく、ぬくいのがわるいのだと。



私とした約束を他人と果たしてしまうのは、托卵みたいなものだなと思う。
私と誰かの卵は、違う人間の巣の中ですくすく育つ。子どもが生まれた時、巣立つ時、私のものとも知らずに幸せな涙を流すのかな、私は子どものことなんかなにも考えやしないのに。

誰とも不幸にならないで欲しい、誰とも幸せにならないでと思うのと同じ尺度である。

孤独に死んでいく