決別


何度捨てても戻ってくるお人形があった。
私はそのお人形に対して、仕方ないなあと思った。だから、お部屋の片隅に置いておくことにした。

そんな人形を、今度こそと、今日ゴミ回収の場所に置いた。

私のこの気持ちは、なんだったのか。
きっと、ひとつのものに対して沢山執着していたから。人形を元の家に戻していたのはいつだって私だった。
私はこの4年間で、それ以外のものはもう捨てたら戻さないように訓練していたのに。

私はこれを、病気だと思った。一生付き合って生きていくもの。そういう捉え方をしていたけど、そうも上手くいかないみたいだった。病気だと思っていたそれは、病気でも何でもなかった。


わたしは、どうしたかったのか。
わたしは、生きてる人を神様にしてしまっていただけだった。


1度割ってしまった皿が戻らないように。金継ぎで元に戻すという方法もあるが、そんな優しい割れ方をしなかったみたいだ。
割れたお皿なんて捨てて、また新しく買ったらいいのだ。でも、それが出来ないのは、紛うことなき私の執着よ。

わたしは、多分またそれについて考えるだろう。でも、考える時間もどんどん減る。
声もやがて忘れて、顔もわからなくなって、どこがどうなのかももうダメなのだ。私は過去を美化して、今の私の時代に合わなくなったものを合ってないわけないと認めずに、守り続けていただけだ。

もう最初から、ダメだったのだね。

わたしは、対等にお話をして、何かを共有したり、私にかけてくれる言葉を大事にしたり、そういうので良かった。
私にとっていつも心地よく、合理を頂けるような、何かあったらまず私が意見が欲しいなと思うのが、その人だったのだ。私にとって良い意見でも悪い意見でも、あの人のフィルターを通して私は私を見たかった。
でも、教えて欲しい、何か考えが欲しいというそれですら押しつけなのだ。

たくさんのことを教わった。
人を傷つけたらいけない事や、私の愚かさ。逆に良いところや心地いいことも。私は何かについて考える時、1度あなたのことを考える。その時間が好きだし、それが一番自分にとって世界を理解しやすい方法だった。


憎しみも、嫌悪も、好意も、執着。
私は、この執着は身を滅ぼすだろうなと思うため、早く手放さないとと思っていたが、いつも先延ばしにしているだけだった。

また生まれ変わるために、決別するのだ。
他者と決別するというよりは、自分の気持ちに決別するのだ。
私が思ってるほど人は私に興味が無い。それでいい。そのまんま。

やっと、ちゃんと諦めようとしている。
長かった。今度こそ、今度こそ人形は燃えてなくなる。

ずっとこれを望まれていたのかも。ごめんなさい。不出来をお許しください。


冬を何度も超えて、生まれ変わったら会って欲しいと思うが、多分近づいたらどうしようもなくなってしまうのかもな。
私のことを忘れたくらいに、知らないまま会えたらな。今世では無理かもしれないけど。
幸せになってね。私もたくさん幸せになります。遠いところで、お体にはくれぐれもお気をつけて。



終わり