私たちみたいな星だね


ダメだと言われたことに限って、何でやってしまいたくなるのだろう。幼い頃からこういう人間だった。人を傷つけてはいけませんも、学校に遅刻してはいけませんも、何もかも、私をそうさせるための特別な言葉。

自分の部屋のデスクトップパソコンで、外国の映画を夜な夜な見漁った。この街に映画館は無いのだった。

私の中のあの頃と対話する。私は、対話がきっと苦手だ。

自分の心を殺された時と、他人の心を殺めてしまった時、どちらがきついかと言えば、やはり他人の心を傷つけた時なのだった。傷つけないで生きていきたかった、そんなこと無理なのに。

蹴られた痣に対して、安心した。痣を押したら痛くて、それにまた安心した。
痣が治ってきて、痛みも和らいできたとき、本当に悲しくて泣いてしまった。特定の人間に付けられた傷は、私にとっての聖書ですらあったのだから。

地学の授業中、斜め前の方を見るのが日課だった。隣の席の女の子は、昔はずっと仲が悪かった子。卒業式の日には、「3年間を通して、仲良くなれないと思ってた人と仲良くなれたのがいちばん感慨深い。仲良くしてみたらすごく素敵な人だったから」と泣きながら私の方を見てみんなの前で話してくれた。
私はその子にだけ、私の秘密を話してあげることもあった。

星には輝きの度数があって、光の強さで何等星
と分けられるんだよ、と地学の教師が説明する。都会では見えない星も、田舎に行ったら見えるのは、空気が澄んでるとか、明るい星だからとか、そういう話を補足した。

わたしは、それって人間みたいだねとその子に言ったことがある。その子は、なんと返してくれたかわすれた。
教師が示した教科書の図、黒板をチョークが叩く音、なにもかも、斜め前に小さく見える彼ありきで輝く世界だった。
同じ箱の中で空気が吸えることに毎日感動していたし、生命のありがたみすら感じた。
同じ世代に生まれて、同じ街に生きて、同じ学校に通ってというのは、数学が分からない私からしても「確率」というものを意識してしまう。

私も誰かのそんな存在になるために生きていくべきだし、今の周りの人にも同じくらい出会えてよかったと思う。

自分の感性にすらありがとうと思える、あなたに貰った素敵な心の物差しだった。