小さい指切り

書きたいことしか一生書けないのだろうな、描きたい絵しか一生描けないのと同じように。自分にいちばん嘘がつけない。それも嘘かな。上手に嘘をついてみたかった。
今どこで何をしていますか、ちゃんと毎日ご飯は食べられていますか。今年の冬は風邪を1回でも引いたのでしょうか。寂しくしていないですか。
私は東京で楽しく暮らしてるよ。毎日ちょっとずつ違う良いことと、悪いことと、どうでもいいことがあって、でも全部愛しいと思います。朝の少し寒い時間も、お昼の少し眠くなる暖かい時間も、夜の澄んだ冷たさも全て慣れました。宝物みたいな友人もたくさんいます。
私の生活と貴方の暮らしはきっと同じ大地に続いているのに、交わることがないのは、そうあるべきだからそうなのですか。それとも私がただ臆病なだけでしょうか。
交わるときっとまた傷ついたり傷つけたりしてしまいそうだとも思う。でも、今ならまた新しく上手くやれるのでは無いかとも思う。私はただ、憧れていて、時たまじぶんを重ねて、勝手に苦しくなっていただけだ。私に気づいて欲しかった。でも気づかないで欲しいこともたくさんあった。やはり、同じくらい気づいてしまって、受け取ってしまう人だと思う。そうじゃないように見えても。本当は裏の裏をかいて分からなくなったりしなくて良かったんだね。人生や言葉も、生き方もすべてシンプルで良かったのにね。気づくのにこんなに時間がかかってしまった。
明るい曲が好き。でもただ明るい曲じゃなくて、少し切なくなるような、エンドロールみたいな歌。宇多田ヒカルのBeautiful Worldを聴くとき、アカシック8ミリフィルムを聴くとき、押井守スカイ・クロラを見る度、貴方のことを考えています。
私にとって晴れの人で、でもお別れしたり、交われないような人。ずっと今くらいの距離でもいいから、私の事を見てて欲しい。暖かくて気怠い日、少しでも悲しくなったら、それが私の気持ちの正体だった。でも、ちゃんと私も貴方も生きていた、もう10年以上経つけど、生活があるし。
押さえなくていい弦を押さえたり、通る必要のないまわり道をしてみたり、そういうのでいいから お誕生日おめでとう。新しくまたことしも頑張ります。私のじんせいの節目の人。