生命のはじまり

つくづく服を着ない人生だったと思う。そしていつも心ここに在らずといったかんじだった。

私が私の人生をしっかり歩き始めたのはいつからだっただろう。
学生の頃、私はいつもすごく軽い風船みたいで、地上から離れて遠くを見たくて仕方がなかった。道端の花なんて生きてても死んでてもどちらでもよかった。私の抜け殻の肉体だけが紐を握り、脳死で道を歩き続けていた。肉体が精神を細い紐で繋ぎ止めた、すごく弱い力で。

大学3年生くらいから、痛くなったり、心地よくなったりしたと思う。
それまでは痛くとも心地よくともよくわからなかった。肉体がいくら蝕まれようと、私は宙ぶらりんでノーダメージだったから。ちゃんと痛いと思えた時、自分の体にできた傷の一つ一つに怯えるような、その感覚こそがまさに私の人生のスタート。私はあの時生まれた。

服を着ないというのは、赤ん坊みたいということ。心に何も装備していない、おめかしも、鎧も、何もかも。薄い布を1枚だけ纏う。人の着ていた立派な鎧に写る薄着の自分に見とれた。私は地面に足をつけているのに、まだ風船の時の気持ちも残っている。

何も身につけないというのは、強さだ。
私の弱さも欠損も隠さないからみんなに見て欲しい。私の痛ましい傷がどんどん癒えて、そこに花が咲く様子を。克服しよう、私はまだ3歳児で、世界の全てが真新しくてしかたがないのだから。
すぐ泣いてしまうのは、大きな声で笑ってしまうのは、毎日発見があるのは、私がこの星で歩みをとめられない証拠だ。本当は毎日辛い、けどこの辛さも懐かしいようで新鮮だった。昨日生まれたと言われても信じてしまう。3歳までは神の子、というが、私はこの2年間、本当に神の子だったかもしれない。何者にもなれなかった20年間は、人生のチュートリアル。今が私の本当の人生。人を吸収して生き続ける。

というのも全て夢で、私はまた目が覚めて、何にもなれずに歳をとっていくのかもしれない。私が私の人生の主人公になれないなら、それは嘘だ。人の人生の主役の座ですら奪ってしまいたいのに。