しらべ

早朝の公園って私にとって切なさの象徴だ。

あるときは、父親とのお別れの日だった。家の近くの公園に父が来ていて、母が私と妹を外に連れ出した。朝は、5時とか6時くらいだった。肌寒かったけど、長袖ではなかったと思う。私が5歳の頃から香港で単身赴任をしていた父は、たまに日本に帰ってきて私や妹と遊んでくれていた。お別れのときはいつも寂しくて泣いていたような気がする。その日は珍しく帰国の日の早朝に会いに来てくれて、疲れるまで公園で遊んでくれた。でも時間にして1時間も無かったんだろうな、そのあと家に帰ってまた私と妹は眠たくて眠ってしまった。
朝起きたら、あれ、さっき父と遊んだのは夢だったのかな?と思うくらい、普通だった。あの朝の公園だけが異常だった。張り詰めたような少しキンと冷えた空気も、父親といるときの幸福感も、あの空間にこの世の全てがあって、私はそれでもう十分だった。そんな父だったが、私が小学校3年生に上がる頃には離婚してしまった。

昨日だってそう、結局私にとってお別れや悲しい出来事は全部朝。半年前に、私の方がはやく家を出たの、本当はもっと一緒に居たかったのにさ。朝に悲しいことがあると、午後にそれを夢に出来る。朝って特別だから。
あるとき、「綺麗な顔立ちの方ですよね」、と言われギクッとした。手に持っていた林檎のお酒を落とさないように指先に力を込めた。そっと棚に戻す。きっとしばらくは飲まないお酒。いつかきっと買ってしまう美味しいお酒。半年以上前のことを思い出す。私にとって大切な記憶は、そのあとの色々で大切じゃない物にもなった。「全然私は好きじゃないですよ」と言ってみた。ちゃんとそれっぽく話せているか不安になる。

悲しくてもやっぱり朝が好きだよ。夜型の人間だからあんまり朝にちゃんと会えないけど。好きな先輩の卒業式の日の早朝、八代城跡を一緒に歩いたね。合唱コンクールの日の朝、同じ委員会だったからはやいうちにみさきくんと集まったりしたし、大学1年生のときにはまだ暗いうちに好きだった子が迎えに来てくれて、いっしょに朝日が昇るのを見たりした。全部もう過去のことだし、二度と会えないだろうなって人との思い出もあるけどだからこそ尊い。朝って神秘的だ。

貴方ってなんて傲慢なの。まだ欲しいの、ときっと呆れられてしまう。満足という言葉を知らない女、この世界の見方をグルっと変えてしまった女。批判されてしまってもやっぱり全部欲しいと思う。好きな物も嫌いな物も、私のところに巡ってきたということはそれがそういうものだったからでしょう。朝におきられないのに朝が好きなんて言ってごめんなさい。ずっと一緒にいてくれてありがとう。夜が怖いから、本当はあのとき消えたかった。