夜景を見て泣いた

1人で都庁の展望室に来た。金曜の夜だから、人がすごく多い。おそらく観光なのだろうなという集団とも、仕事が終わって1人で来たであろうサラリーマンとも、誰とも目が合わない夜。
上から東京の夜景を見下ろした。いつも通る交差点がすごく小さく見えた。誰かが通っても見えなかった。
私が街を歩いても、それって小さいことでほんの一瞬で、ほぼ無いに等しいなと思う。どれだけ誰かに測られたくないと言ってみようと、病気になろうと、嬉しくなろうと、オフィスで悲しくて泣こうと、私ってどうでもいいたった一つの泡。

ゆく川の流れは絶えずして、と言うけど、私が思いついたことなんてもう何年も前に誰かが言ってて記してるから別に私が1個ずつ文字を残す必要も無いんだ。全部自己満足だと思うと安心した。 今日オフィスで泣いてしまった時隣の部署の男性に「貴方は面白いですね」と声をかけられた。「思ってることを全部言えるし、言語化能力が非常に高いので」「興味深い人だなと思います」、私がこの時代にオフィスで生き物の有限さに悲しくなって泣く意味って何なんだろう。夜景が綺麗でまた泣いてしまった。友達が欲しかっただけなのにな。

人って有限だな、と考えて寂しくなった。きっかけは同期との他愛もない会話だったけど、結局今思えば最近ずっと怖かったのかもしれないな。人って生きてるから必ず死ぬし、会社の人も次の月曜日にまた全員揃って必ず会えるかと言われるとそうではない。それが怖くなった。好きな人に好きって言うべきだし、会いたい人にはちゃんと会っておくべきだと思った。

結婚した後に最愛の人を見つけてしまったらどうするんだろう。ベストマザー賞を見て思う、いい母ってなんなの。女じゃなくなること?もしそのとき1番会いたい人が旦那じゃなかったら?家族の事もきっと好きだよ、そういう時にちゃんと諦めるのが、家族になるって事なのかな。私の母は、私に再婚しないでと言われて再婚するのを諦めた。そういう「諦め」が愛なのかな。寂しい愛だな、優しいけど。