あの子を嫌いになった日

ベッドのシーツを替えた。今日買った睡眠導入効果のあるアロマを数滴垂らした。

サンダルウッドのアロマキャンドルにお墓参り用のチャッカマンで火をつける。電気を消して横になると、物凄く眠くなってしまった。卒論をやろうと思っていたのに。

エアコンの風が火を揺らしている。
まぶたがだんだん重くなってくるが、なんとなく寝たくないのだった。ゆらゆら揺れる小さい火は、私を癒した。


人に完全に興味が無いと言いきる人に対して、怖いなあと思う反面、羨ましいなと思う。
人に興味がありすぎる人のことは基本的に苦手だ。知人のあまりにも他人に興味があるんだろうなと言う言動に、悲しい気持ちになることも多い。
人に興味が無いと言い切る人の方が、一緒にいて楽なのであるな。少し寂しいが。

しかし、人間なんて全員寂しいのだ。寂しくないですよという振りをし続けてアチアチな人間関係を続けるよりかは、寂しいねと思いつつ、それでいて少し暖かい、みたいな人間関係を築くべきなのかもしれない。

何にしても取り繕いたくない。取り繕うのは、時間を食べるから。


高校3年生、7月、私が人生初めて取り繕わなくなった日、私はその場にいた仲良かった子みんなに無視されて、悲しくて家に帰って泣いたが、あの日からきっと人生が良くなった。
私が言いたいことを言って終わる人間関係なら、それまでだったのだ。
言ってよかったなあと思ったし、これからもちゃんと言うべきだなと感じた。(内容自体はすごく些細なこと)(とあるコミュニティでくそみたいな理由でハブられてた子がいたので、そういうことするのやめなよって言った笑)

この話を友人にしたら、「普通そんなことがあったら、言いたいこと言わないようにしようって考え方にならない?なんで、言ってよかったと思えたんだろう。」と言われた。
確かにそうかもしれない。深く傷ついたから尚更。

私はきっとそういう側の人間じゃなかったのだ。私は、言いたいことを言えなかったり取り繕ってじゃないと成立しないような稚拙な人間関係に疲れていたし、それを馬鹿らしいと思いつつずっとやってきた自分も嫌いだったのである。
仲良かったと書いたけど、あんまり仲良くなかったのかも。

あの日、自分の言いたいことを言えるようになって本当に良かった。
今では私が言いたいことを言って離れていく友人もいないし、取り繕うようなこともない。
これからも、自分が思う「良いこと」について吟味したいし、場合によっては周りの人に主張していこうと思う。