違う星に旅立つために、ロケットに乗っていた。愛は地球を救う24時間スペシャルが愛じゃ地球は救えませんと言って最終回を迎えたのが先月、人々は救いを求めて違う星にそれぞれ旅立つことにしたのだった。
好きな男の子にめちゃくちゃ足を蹴られたことがある。力が強かったので、足にたくさん痣ができた。浴槽で体操座りして、できた痣を押してみたら、当たり前だけど痛かった。私は何ヶ所もある痣をずっとぽちぽち押し続けた。
日に日に痣も薄くなって、押しても痛くなくなる。その度に私は辛くなって、お風呂の中で膝を抱えて泣いた。
私、という漢字を打つ時、わたしのときとわたくしの時がある。変換したらどちらもおなじ私になるのに。
例えば、そのすぐ下にカタカナが出てきたら「この子はワタクシと打ったのか。」とわかるのに。私のツイートに出てくる「私」、半分くらいはワタクシであるのだ。それってすごく無駄なのに。
人のワタクシにも気づけない。誰かのツイートの「私」は、どちらで読んでいいのかわからない。
小学校の教科書みたいに、小さくルビがふってあればまだマシなのかもしれない。他人のルビ、人生のルビは私たちが各々想像するしかないのだ。
曲はおまけで、MVが本編なのかな、と思う。
研究がおまけで、制作物が本命なのかな、と思う。
中身はどうでも良くて、ビジュアルさえ良ければいいのかなと思う。それらが、悔しい。
6月ももう何日か終わった。気がつけば2021年もあと半分なのだ。
働かなくなって半年が経とうとしている。お金を貯めないといけないのに。
作ろうと思っていたものも、まだ作ってない。制作は億劫だ。自主制作は締切もなければ指定もない、制限も何も無い、完全なる自由は楽しいけど、縛りがないというのもまた辛いのだ。
わたし、自由に縛られている気がする。自由って自由なんだけど、全然自由じゃないなと思う。
ロケットはもうまもなく出発するらしい。
そういえば、大富豪がめちゃくちゃ強かった。大富豪には当たり前だがルールがあり、制限があった。最初に配られた手札でどう場を支配するかが大切なのだった。私はそんな大富豪が本当にめちゃくちゃ強かった。
あんまり良くないカードしか手元になくても、1抜けなんて余裕だったのだ。与えられた手札で、どうすれば1抜けできるかの道筋を立て、カードを最初に全部捨てる。気持ちいい。
大富豪は、大胆さ、場を読む能力、バランス感覚、センス、運など かなり色々と要る遊びだと思う。ルールも色々とあるし、聞いたことないローカルルールをいきなり追加される時もあった。
だが、制限があるゆえに簡単。これって学校みたいだ。
ちなみに大学2年の春、大富豪を友人と5時間くらいやってそれが原因で当時好きだった男の子と喧嘩した。
大富豪が強いお姫様は、現実世界で場を何度も読み間違えた。別に人生はゲームでは無い。読み間違えたという感覚がまた読み間違えなのだ。人生には特に制限がないから。それに例え読み間違えたとして、長期的に見たら間違いじゃなかったなんてことはザラだと思う。大富豪が強いお姫様は、人生のことをやりこみゲーかなんかだと勘違いしていたのだ。そして未だにその勘違いは続いている。
愛が地球を救えなかったのではなく、地球が愛を信じなかったのだ。
お姫様も同様、年々思い切りの良さが無くなってきていた。大富豪ではあんなに大胆にジョーカーをゲームの序盤に出していたのに。
お姫様も、愛を信用していいかわからなくなったのだ。ジョーカーを出し惜しむようになった。
愛が地球を救えない派の人間は、思い切って地球を出る。愛が地球を救う派の人間は、思い切って地球に残る。
愛を信じなかったら何を信じるのか、数字か、お金か、研究の結果か、死か、スピリチュアルな何かなのか、はたまたゲームの結果なのか。
すごい音がした。
どうやらロケットが地面を離れたみたいだった。どんどん上昇していき、建物やら植物やらが小さく見えていった。
ロケットは、まもなく自分のいる箱から切り離される。箱だけが成層圏を通過して、宇宙空間に放りだされるようだった。
箱を操縦している人は、小学校の時の同級生らしかった。でも、そんなのは、もうどうでもよかった。