くらし

雨なのに傘をささないで歩く新宿。歩けば歩くほど小雨になって、最後には降らなくなった。家に帰って手を洗うと、イソップで買ったハンドソープの香りがフワッと鼻に入る。私が手を洗ったら、つぎはきょうたくんの番。手を拭く前に、少し伸びた髪を鬱陶しそうに払った。今のでちょっと髪が濡れちゃったね。わたしの、大好きな生活。

この人は、私がたまに何も言わないでどこかに泊まって、ボロボロで帰ってきたりするのをどう思っているのだろう。きっと、私はきょうたくんの放し飼いの猫をずっとやるんだなって、東京に来て思った。たまに寂しくなって夜中にきょうたくんのお布団に入る。きょうたくんは寝てるのか起きてるのか分からないけど必ず抱きしめてくれて、私は気が済んだらその手を振り払ってまた自分の布団に戻る。そしてまた暫く携帯を見て、また寂しくなってきょうたくんのお布団に入る。でも私は人と同じお布団で眠れないから、やっぱり途中で鬱陶しくなって、自分のお布団に戻る。
たまに他の家の人に貰った首輪をつけて帰ることもある。他の家の人に呼ばれてる名前もあるの。でも結局私はきょうたくんの家の子だから、病院代も、ご飯代も、わたしの面倒くさいことも全部きょうたくんがしてくれる。人よりちょっと愛嬌があってごめんなさい。誰にも相手にされない人生だったら良かった。私も、私といて楽しいって言ってくれる笑顔の可愛い人が大好きだし。

私たちのくらしって、明るい曲しか似合わないよ。ワイヤレスのイヤホンを片方つけてあげる。有線ほど近くにいないけど、ちゃんとわたしは繋がってるよ。ずっと同じ曲を聴いててね。

官能的感覚

私の人生がシルバーだったから、貴方の真っ黒い人生の差し色になれた。関係を急ぎすぎるとき、その恋はもうすぐ終わりってこと。「ほんもの」はいつだってゆっくり。焦れったくなって待てなくて、いつもお利口さんの私のもの。最後まで私が待てなかったことはない。そうやって全部溶かして甘やかして、私をお行儀よく居させてね。シャンパンの泡みたいな、そんな気持ちの日。

お上品な人とするちょっと下品な行為。好きって言っちゃいけない関係なんて、誰が最初に言い始めたんだろう。秘密を人と共有するのが好きだった。大学1年生の冬。熊本で一番のホテル街。回転ベッドのある部屋で、同級生の男の子とキスした日。「食と性は脳の同じところで感じるらしいよ」と教えてくれた。私はそんなことはどうでもよくて、この可愛い生き物を独り占めできてるんだ、という高揚感だけあった。でもどうせ長くは一緒に居られないんだろうなってわかってた。終わりが近いものはパチパチしていて眩しいの。今どんな気持ち?、どうせ死ぬのに人を好きになるのって馬鹿らしいけど、どうせ死ぬのに好きな気持ちを隠すのってもっと馬鹿らしいと思わない。

近くにいてほしいけど、近づきすぎないでほしい。嘘をついたら殺します。あの時、ちょっと泣いてしまった。暗い道でよかった。人生であと何回キスできるの。人生であと何時間一緒に居られるの。体育祭の時にこっそり繋いだ手も、そのあと髪の毛を切って私が幸せになったのも、全部なんだったの。私は髪を切ったけど、貴方の息が耳に当たるたび、切ってよかったと思えた。長く伸ばした髪よりも、誰かといるときの利便性を考えるような理性。まだその時中学生だったのに。

毎日が、長い前戯。挿れる前に死ぬんじゃないかとヒヤヒヤしながら交差点を渡る。映画を見ていても、手紙を書いていても、お風呂に入っていても、寝る前だってずっとそのことばかり考えている。結局、理性が飛ぶような瞬間はあっても、本当に全部飛ばせることって無いんだろうな。才能がないって思う。まだ全然気持ちよくなってない。性にも食にも貪欲になれない。デブじゃないし。欲に忠実に生きるようなお行儀の悪さが欲しかった。私を膨張させて、そのあとキュッと締めるようなスパイス。人づてに聞いたことなんて何も意味がないの、私が良いと思えないなら何もよくない。昔食べられなかったものが、今美味しいような。極上を、もうずっと待ってる。今とても仕上がっています。あとは、お皿の上にちょっと振ってもらうだけなんだけど。

鮫の島

暑い夏の夜、橋の上で貰ったくちづけ。暑くて寒いような難しさ、私は明日どんな服を着てこの街を歩いたらいい。一緒に行きたかった川は、干からびて昨日無くなったらしい。あの時行っとけば良かったね、なんて意地悪を、私は平気で日記に書いてみせた。

誰かがした大きい欠伸目掛けて、虫が飛び込んだら不幸だと思う。夏はみんな生き生きしていてすごく怖い。太陽が容赦なく人々を照らしている。神様は全部見てるぞ。疚しいことがどうせあるんでしょ、日陰を選んで歩くような、そういう暮らしをしなさい。私は服を全部脱いで、お日様にお辞儀をしました。どこも焦げなくて、人生は助かった。小学生が虫眼鏡で紙を焼くように、貴方の人生は焦げだらけだね。でも、仕方ないね。

コンクリートの上を、暑い暑いと言いながら一人で歩いた。肌が白くて眩しい。あとどれくらい歩いたら、私は私の海に着くの。人の人生を生きてるんじゃない、私の人生を生きているの、と悔しくなった。その後すぐ、私は私の人生しか歩めないのか、と思ってちょっと笑った。風なんて吹かない、私が吹かせない。汗がポタポタと落ちているけど、それは地面に染みることはなく、太陽に呼ばれて空に還っていった。私の本体は、まだ蒸発なんて出来ないよ。

誰かに触れてる時間が永遠に続いたらいい、と思った。端正な顔立ちの、睫毛の1本1本を数えて覚えていたかった。目を擦ったら何本か抜けちゃうかもしれないけど、そしたらまた最初から数え直したらいい。隣にある寝顔を見て、この鼻の隆起が小さな丘だったらいいな、と思った。私はそこを歩いて登って、いちばん高いところにレジャーシートを敷く。お茶でも飲んで、満足したらまた下る。別に誰に言う訳でもないけど、そういう私だけの愛し方。頬の上で大の字になって眠りたい。でもきっと、そういう話もいつか出来なくなる。終わりがあるから美しい。始めてしまったものは全て終わる。生まれてきた命は必ず死んでしまう。

いつもと違う匂いが首から香った。少し泣きそうになって、夏のことを考えないようにした。次の駅で降りて、やっと海を見に行こう。鮫が沢山いる、怖い島を見に行こう。

プレゼントに、草臥れたお花

貰ったものを捨てる時ってどんな気持ちだろう、と思いながら、お花も、アクセサリーも、服も、香水も、手紙も、気持ちも、ゴミの日に出しちゃった。そんな夢を見た。
誰とでも話が合うわけじゃないし、好きな話をした時に、うんうんと自然に笑ってくれる人が少しでも身の回りにいたら それで人生満足でしょう。

人と比べて、意地になって、なんにも出来ないと嘆きたい日は、自分宛に叱咤激励の手紙を書く、わたしの面倒は私が見るって決めてるから。わたしの社内連絡ツールのマイチャットには、自分宛の励ましの言葉や、アドバイスめいた文章がたくさん残されている。オフィスで1人で泣いて仕事をした日も、ちゃんと家に帰りついてお化粧を落として、お風呂に入って寝たんだよな。そういえばもう1年間もマニキュアを継続して綺麗に塗っている。剥げてる日なんて無い。こういう自分自身へのちょっとした敬意が好き。

多くの植物が、水をあげないと死んでしまうけど、水をあげちゃいけない植物だってあるんだよ、と誰かに教わった。家の方向へゆっくり動き始めた電車の中で私は、水をあげたら死んでしまう植物に思いを馳せた。方法は、いつもひとつという訳では無い。正解がいくつもあって、不正解もいくつもあるから人生って楽しいの。1個でもずれてたら、私あなたに会えてなかったの。だから、正解と不正解の積み重ねに、恨み辛みを言うわけないよ。もうずっと、車窓から見える駅のホームにまた誰かを探している。

はつこい

要るものと要らないものを分ける暮らし。一緒に売られてきたはずなのに、ペットボトルの本体と蓋を別にして捨てないといけないのは何故。教えてくれたのは、もう戻ってこない人。
わたしの言う美しさとは、朝の光だった。
誰かの家で気怠く浴びた朝陽も、公園で夜を明かして4時頃小さく見えたオレンジも、実家にいる時に部屋が眩しく包まれたこと、全部大切な時間だった。全部を肯定してくれるような、そんな明るさが好きだったの。私もそうなりたいと思った。

クーラーの効きすぎたオフィスで名前を小さく呼んでみた。ずるい愛、一生変わらない、近いようで遠く、遠いようで意外とすぐ側に、なんてね。持ち運べるようなものでは無い、黙って立っている、やがて死ぬ、その時私も死ぬのかな。

貰ったものってきっとひとつも無かったな。でもあげたものもきっとひとつも無かったはずなの。カウントしない恋、私は貴方の母親になりたかったし、娘になりたかった。去年の夏の香りGUCCIのピンクの香水瓶、倒して割って、部屋中に匂いが溢れた。
私の気持ちっていつもこんな感じかも。揮発性、すごく香る、無くなったと思ったらふとした時にふわっとした。大切なものはいつも無くすのに。

赤子を抱きしめる

水分が多い生活。1日に3回自販機の水を買う。涎が多いから虫歯になりにくい。そして、すぐに泣いてしまう。そんな暮らしで大丈夫です。

わたしが守りたいと思ったものが、別にわたしが守らなくて良かったものだったとき。ただ見てあげてたら良かったんだね。ある雨の日、私に「行かないで」と言った人、私はその日よりずっと前に、どんな風に終わらせたらいいのかを考えていたよ。泣かなくていいようなところで泣くような、そんな柔らかな心が大好きで大嫌いだった。私より、ずっとたくさんの手札があるような、そんなところが好きだったのに。いつの間にかそれが嫌いなところになっていた。結局人って持ってる何かをちゃんと活かせる頭の良さがないとダメみたいだった。私はまだ若かったから、それに気づけないであの朝さよならしたきり、もう繋がれなくしてしまったんだね。

取り繕われるのが嫌いだった。私の前で格好つけられるのが嫌いだった。ありのまま居てくれる人を大事にした。背伸びもしないで、足を曲げて背をわざと下げるようなこともしないで。私と目線がちょっとずつ違えば、その違いを楽しんだらいいじゃないですか。

わたしって、羊水みたいになりたい。私の前では全員が魂ひとつになればいい。小さい尊い命を、ゆらゆら包んで生かしてあげたいと思う。ぜったいに溺れないよ。泣こうが喚こうが、私は黙って見てるよ。何も言わないで、ただ生きているかどうかだけずっと見ておいてあげるね。ぷかぷかしてるこのいのちも、いつかは宇宙のどこかへ消えていってしまうのだけど、だからこそ今この瞬間を大事にするね。生まれてきてくれてありがとう。私の元に巡ってきてくれて本当にありがとう。こういう気持ちで周りの人たちを日々抱きしめる生活です。

私の星

自分が普通の女の子だな、と世界を諦めたのはおそらく小学校低学年くらいだったと思う。周りの子がキラキラして見えたから。さえちゃんは色が白くて顔が可愛かった。ゆなちゃんもおっとりしていて髪がつやつやで、なんでも知っていて好きだった。私は抜けていて、いつも何もよく分かってなかった。そういえば、小学校1年生の頃上級生に私のファンクラブがあった。毎休み時間「はらだわかこちゃん」を6年生の女の子たちが10人〜15人くらいで見に来て、話しかけたり、眺めたりしていた。
私はと言うと、保育園年長さんのときに家族でいった香港の動物園のことを思い出していた。あのとき人だかりができていたパンダの檻、きっと中にいたあの子はこういう気持ちだったのね、と。私ってずっと見世物みたいだった。何がそうさせたのか分からない、授業参観で学年の先生は全員うちの母に挨拶し、「わかこちゃんはすごく人気がある」だの「どうしたらあんなに可愛い子に育つのか」などを聞いていた。今思えばかなり異常な生活だったか、私はそれでも自分のことを普通でつまんない、と思っていた。なぜなら、クラスメイトの好きな男の子が、私を好きにならなかったから。
早熟、と言わないで、私はいつも好きな人の好きな人になれなかった。上級生の私のファンを後ろにぞろぞろ連れて図書館に行くみたいな、そんな熱量より、好きな男の子から1回でも「好き」って言われたかった。童話の、王子様に選ばれるお姫様になりたかったのに。

好きな人の好きな人になることに、高校生まで拘る人生だった。大学生からはというと、好きな人の好きな人になることが何故か容易になった。不思議だった。そして、私は付き合った男性を必ず泣かせた。私が我儘すぎる時、私が悲しそうにしてる時、私が喜んでる時、私が欠伸をする時、私がその人に真剣に向き合った時。自分に沢山の素敵な価値があるように振る舞うのが得意だった。「強くならないと大事なものは守れない」と教えてくれた人がいた。私は、私の周りの人を幸せにしたかったし、守りたかったから、それなら私に素敵な価値があると思わせた方がいいと思った。素敵だと思ってる人に言われる言葉は宝石みたい。私は宝石を配って回れるように、努めて暮らしていた。

私の思考が好きな友人は、私と話す時にたくさんメモをとる。友人は、私のことを「何においても深くたくさん思考しすぎ」と言うが、その思考の回数によって得られた私の持論なんかをみんな当てにするのだから、財産と言えるでしょう。私が笑ったとき、アドレナリンが出る体にしてあげたい。私が冷たくあしらう時、酷く傷ついて欲しい。「好き」とはリスク。執着は私への降伏。傷つけて欲しくないなら最初に言っといて。でも、向き合って欲しいなら傷ついて。

普通の女の子って言わないで欲しい。でも、変わり者とも言わないで欲しい。私が宇宙から来たって言う時、どうせ鼻で笑うんでしょう。ただの鉛の塊を大切に持っていて、それはなんの価値もありませんよなんて言われてしまったら。そんなこと言ったら貴方だってただのたんぱく質の集まりでしょう。私のよく分からない部品を、宇宙船のパーツにしてくれるような、そんな人だから好きだったのに。

人に何言われても私の価値って変わらないよ。
23歳の最後までずっと取っておく予定のおまじないも、別にもう要らないか。人に言われて下がるような価値なんて、最初っから無いようなものだよ。私たちは、自分で自分の価値を決められるし、そのレートを理解してる人間だけ置いてたらいいじゃん。星に帰りたいって思う日も、地球で眠らせて、と思う日もそれぞれ大事にしたらいいじゃん。人は誰かを、声から忘れるの。そう言ってくれたあの子の声ももう今は再生できないでしょう。