ゲイバーのライターを大事に大事に取っている

小さい頃、喫煙は悪い事だと教育機関に仕込まれていたため、意外な大人の人が喫煙しているのを見ると、ドキッとしてしまっていた。犯罪の現場を見ちゃったみたいだった。

ガラムを吸い始めたのは同級生のじょーじというあだ名の男の影響だった。「これ吸うとコンビニのタバコ不味くて吸えなくなるよ」と言っていた。誕生日に3箱買ってくれたので、渋々吸ってみると、めちゃくちゃ良かった。タールは42ミリ。吸いやすくて、命を削っている感はない。罪な男だ。出会ってもう3年が経つが、じょーじの本名を私は知らない。

 

人は人生で何度プロポーズされるのだろうか。

とある統計によると、1回と答えた人がいちばん多いらしい。6月の花嫁→ジューンブライドと言うが、私は6月は嫌だな。梅雨が嫌いだから。日本じゃない国の6月は、きっと快適なんだろうな。

 

本名を知らない友達というのは、良い。

高校生の時も他校に本名が分からない友達がいたが、すごく良かった。多分あっちも私の本名知らなかっただろうな。未だに知らないのかもしれない。そのくらいでいい。特別な友達みたいだから。

 

6月って最悪だよな。髪の毛をいくら綺麗に巻いても、ダメになるしな。それが嫌で学校休んだりしてたな。

思えば、大学に入ってからすっぴんにジャージで電車に乗れるようになった。美意識というものがどんどん無くなっているのかもしれない。

年々気持ちが楽になっている。私はすっぴんにジャージでも、バッチリメイクでも、どちらでも美しいのだった。

 

私のいい所として、人の意見を否定しないという点がある。

否定スタンスの時もあるが、全否定は基本していないと思う。1度メリットとデメリット(いい面とわるい面)について吟味する時間をとる。吟味time。ぎんみたいむ…?(ぎんみたいむ?)

周りの人に対して、吟味タイムを覚えて欲しいと思うことがよくある。「それは絶対無いわ!なぜなら〜」みたいなの1番イライラする。

「自分は否定派だけど、こういういい点とこういう悪い点があるよね」みたいな話し方をして欲しい。私は、あまりにも心理的安全に寄りすぎているだろうか?自分が相手のことを好きであればあるほど、辞めてくれ〜と思う。

 

私があまりにも人のことを否定しなさ過ぎるのか?困る。

マジで人のことどうでもいい。許容範囲が広すぎるのか?

人に対して、同じくらいの許容をして欲しいと思うのは欲張りだろうか。

私もお前のこと否定しないから、お前も私のことを否定するなよと思う。否定スタンスでも、せめて優しい言い方であれ、と思う。

 

自分も気をつけようと思う。

タバコを吸ってくる。