追いかけて

どこにも行かないで、と抱きしめられた真夏日を思い出していた。
私だって本当は、どこにも行かないでと抱きしめて離したくない人がいたけど、そんなことを言ったら可哀想だと思っちゃったから、言わなかった。それを平気で口にしてしまえたあの人は、去っていく人の気持ちを全く知らないの。

毎日楽しくなくて、それは私が何にも身が入らないから。私の心がどこにあるかというと、他人の心の数箇所。じっと見つめて、そしてたまに見つめなかったりしていた。考えるような頭がないの、夏だから。そんなのは言葉遊びで、本当はちゃんとやりたいこともあった。1年前の今頃は、お昼は博物館で働いて、夕方から選挙カーに乗って毎日叫んでお金を貰っていたのにね。

生きてると、いかに自分が何も持っていないかを思い知らされる。まだ欲しいの、と言われてしまいそうだけど、私は全部欲しい。全部手に入れて、手放して、また手に入れたいと思う。私が貴方から何かを盗んでしまうことを今後も優しく赦してくれませんか。私を許してくれる人ってもう居ないらしいから。顔も、性格も、才能も、何も無い。早く新しい人生を歩みたいと思うかもしれないけど、実はこれは2度目。学生の頃の私はまだ不完全だった。半分は自分で、残り半分は自分を少し上から見ている自分だった。上村和歌子は1度死んだ。

全員羨ましいし妬ましい。私をこんな気持ちにさせないで欲しい。私が持っていないものを何故みんなはあんなに持っているのかわからない。まるで自分が空っぽみたいに思える日があった。私はなりたい自分になるために、また無理をする。絶対全部欲しいよ。

書けないままでいて

タバコを外で吸ったときの携帯灰皿。冷凍フルーツを食べるときに最後にかける練乳。天然過ぎて何を言っているのか一発じゃわからせてくれない先輩。鶴屋でまとめて買ったVivienne Westwoodのハンカチ。生活を良くしてくれるものはいつだって上等と決まっている。そして同じくらいのチープさ。わたしの心にぽっかり開いた穴にそよ風が通った。遊んでいるみたい、春と同じような憎たらしさがあった。わたしは、冬以外の季節が嫌い。

パソコンの前で今日も栄養ドリンクを飲み干した。飲み終わったと同時くらいにくしゃみが出た。誰かが私について話している。いい話だったらいいのに。AirPodsからは絶え間なく東京事変が流れていた。私はいつになったら椎名林檎になれるのだろう。何者でもあり、何者にもなりきらない。羽をはやして、彼女に会いに行く。

私は、わたしの望むものしか供給出来ない。究極の自己満足、自家発電だけで成り立つ精神ではないのか。周りのわたしの望まないものも、羨ましいものも、なりたいものも、全部飲み込む。ときには鋭利なものも口に入れた。自分の胃袋より大きそうなものも、毒も飲み込んだ。痛かった。全部、私の世界を大きくして、わたしが呼吸できるようにするために必要だったのに。

消化の最中は動かなかった。消化にのみ神経を使い、取り込み、私になる。周りのものを全部取り込んで、私はわたしの望むものに変換する。わたしを通し、わたしの味になったそれを人々は喜ぶのか、味が濃いと捨てるのか、はたまた飲み込んだ途端に息ができなくなってしまうの。

刺激物になりたい。人の人生を狂わせ、わたしは満たされる。そのうち教科書にも載って、こんな歴史は繰り返してはならぬと教訓にされる。しかし、一度わたしの香りを嗅げば、そんなことは無駄なんだと思い知らされる、それでいい、欲の深さは生命力と等しい。誰よりも永く生きて、誰よりも最速で死んでいく。神様になるには、毒をも飲み込む覚悟と、人を諦めることが重要だった。

生命のはじまり

つくづく服を着ない人生だったと思う。そしていつも心ここに在らずといったかんじだった。

私が私の人生をしっかり歩き始めたのはいつからだっただろう。
学生の頃、私はいつもすごく軽い風船みたいで、地上から離れて遠くを見たくて仕方がなかった。道端の花なんて生きてても死んでてもどちらでもよかった。私の抜け殻の肉体だけが紐を握り、脳死で道を歩き続けていた。肉体が精神を細い紐で繋ぎ止めた、すごく弱い力で。

大学3年生くらいから、痛くなったり、心地よくなったりしたと思う。
それまでは痛くとも心地よくともよくわからなかった。肉体がいくら蝕まれようと、私は宙ぶらりんでノーダメージだったから。ちゃんと痛いと思えた時、自分の体にできた傷の一つ一つに怯えるような、その感覚こそがまさに私の人生のスタート。私はあの時生まれた。

服を着ないというのは、赤ん坊みたいということ。心に何も装備していない、おめかしも、鎧も、何もかも。薄い布を1枚だけ纏う。人の着ていた立派な鎧に写る薄着の自分に見とれた。私は地面に足をつけているのに、まだ風船の時の気持ちも残っている。

何も身につけないというのは、強さだ。
私の弱さも欠損も隠さないからみんなに見て欲しい。私の痛ましい傷がどんどん癒えて、そこに花が咲く様子を。克服しよう、私はまだ3歳児で、世界の全てが真新しくてしかたがないのだから。
すぐ泣いてしまうのは、大きな声で笑ってしまうのは、毎日発見があるのは、私がこの星で歩みをとめられない証拠だ。本当は毎日辛い、けどこの辛さも懐かしいようで新鮮だった。昨日生まれたと言われても信じてしまう。3歳までは神の子、というが、私はこの2年間、本当に神の子だったかもしれない。何者にもなれなかった20年間は、人生のチュートリアル。今が私の本当の人生。人を吸収して生き続ける。

というのも全て夢で、私はまた目が覚めて、何にもなれずに歳をとっていくのかもしれない。私が私の人生の主人公になれないなら、それは嘘だ。人の人生の主役の座ですら奪ってしまいたいのに。

こわす

人を憎めないのは、嫌えないのは、優しさではなく多くの場合は弱さだ。今週も私は強く生きた。一人で立つにはまだまだ足が未熟だったが。

美少女みたいな配色の男だ、と私は人を揶揄していたが、実際この歳になってまだ少年のような瑞々しい美しさを保てる人類なんて、本当にレアだと思う。私の好きな男性たちは、19がピークだったような。花盛りは、すぐ終わる。

中学生の時、「どういう人がタイプ?」と言われて咄嗟に出た回答が「桃の天然水」だった。全然意味のわからないことを言ってしまったなと思ったが、今思えばうまく言えていると思う。これ以上ない回答だと思えた。みずみずしくて、透けそうで、少し熟れてるのが好きなのだ。でも、桃の天然水みたいな男の子は、別に私のことを好きにならないのも人生でよく理解出来た。
どんな勝負も挑みに行くように見られがちだけど、私はかなりリアリストなので勝てる勝負しかやりたくない。どれだけ突飛で無茶な事だと思われようと、だいたい勝てる時は勝てるってわかるから。負ける時は、もうやる前から負けるイメージが想像出来る。勝てる時はそれが一切思い浮かばないのだ。
私は、桃の天然水みたいな男の子と上手く添い遂げられる想像がいつも出来ないでいる、年下と恋愛したい、というのもそう。
私は多分美少年と付き合えないし、年下とも付き合えないんだと思う。無いものを強請る、人間らしくて嫌になる。

人に興味もない。自分が一番面白くて可愛くて目が離せないから。でもたまに人に興味が行くこともある。そして決まって、自分より他人に興味が行くと好きすぎて相手を壊してしまう。
全部知りたくなるし、生活がその人だけになってしまうから。これは男女関係なくて、歳も関係ない。人壊すだけ壊して、しばらくしたら飽きちゃって、また自分に戻ってくる。
壊すというのも、その人自身が私のせいでよくわからなくなってしまうこともあるし、私のせいでその人の周りの人間関係が壊れてしまうこともある。人に興味を持つのが怖いと思う、明日の予定から体の造形まで全部知りたくなるから。
私は多分無意識的に私に多くを聞かれてもちゃんと答えるだけのキャパシティのある人に興味を持つように選んでいるし、やはりそういう人たちなので、私になにか大事なものを壊されても(むしろ壊された方が)仲良く付き合ってくれる、それが余計にわたしをわるくするのもわかっていて。

今この瞬間も、最近猛烈に興味がある人のことを考えているけど、それと同時にこの興味が引く瞬間のことも考えている。虚しい。
一生夢中でいたいけど多分無理だから、できるだけ長いこと興味を持って生きたいと思う。
まだ私の興味の対象になっていない人類は、この幸福を毎日噛み締めて欲しい。
刹那的な生き方だなと思うけど、私は本当に忙しい、気分も考えることも毎秒変わるので
本当に時間が無いと思う 人生に。

この世で1番好きだよ

靴紐を結びながら、また今日が来たことに対して絶望した。蝶々結びを完成させた頃にはいつも、私の望みが一切叶うことは無いのだと思い知らされる。何かができないなら、できるようになればいいと人々にアドバイスをして回ってるのは私なのに。

どさくさに紛れて、一緒に悪いことをしてしまったあの日、なんで私を責めたりしなかったの。私を責めるには十分すぎるものを貴方は持っていたのに。
私を責めて、許さず、一生うっすら嫌いで生きてください。

朝から雨が降れば、きっと落ち着いて仕事になんて行けないから。誰かがいてやっと動けるようになる。

本当に熱いか

熱い夜だった。
携帯が鳴って、しばらくして通知を見た。
私は、世の中を直視することが出来なかった。

何故人はそんなにも無防備なのだろう。
何故そんなに多くに傷ついて、まともに食らって、涙を流したりするのだろうか。
自分にとってどうでもいい人に酷いことを言われても全く喰らわない私からすると、意味がわからなかった。

周りと比較して、初めて自分が見える。
人との対話は、人を探っているようで己を探っている行為。
誰かのどこに共感したのか、どこがわからないのか。人はみな比較することでしか基本的には自己を見いだせないのだった。

でもそんなのは、甘ちゃんだ。
お前の都合なんか知らんがな、と、思った。
私は、お前を探るための道具になってあげたくない。私を通して自己を探る特権は、私の好ましい人達のみが手にしている。

まだ熱い。
貴方も今頃こうやって熱がったりしているの。
寒い季節が好き、汗をかかないから、と言っていたね、そのくせサウナが好きなんて。

私は、ずっと特定の人を鏡にして、それでもう10年は生きている。それ以外の人間は、鏡として常に上手く機能するわけではなかった。周りが悪いのではない。確実に私が悪い。

無防備な少年少女達、
早く全てを諦めて、無関心になりなさい、私からはそういう他ありませんから。

何ひとつとして、期待出来ないから。

神が考えた最高のプラン

塞翁が馬、この言葉をくれた友人はとても頭がいいと思う。私は、彼に絶対なりたくないけど。

最近自分の頭の中で何度もこれを反芻する。
くちをこの単語の形にする。
もう6月も半ばだってのに、私の技術は一向に進化しないのであった。

最近は特に無計画で、自分を見失っている気がした。私は将来何になりたいの。何故自分で決めたことなのにちゃんと正解にしてあげられないの。うるさい。遅れてきた五月病に、六月の鬱憤が重なって、私の精神はどんどん悪くなっていく。いいことも悪いことも、盛大に。
どうせ死ぬなら私ひとりでしんであげない。
人の足を引っ張ると非難されるのはわかった上でだ。私を非難して。

神様はなんだってお見通しだ、と思った出来事がここ数日で何個かあった。

私がしっかり努力していることを、神様は多分見ているし、周りの友人もきっと見ている。私が上手くいかないのも、そんな自分に暗示をかけて、全部乗り越えているのが見えますか。
仕事中に辛くなって、自分宛の励ましのメールを書いた。作業は1時間経っても進まないのに、自分へのメールは1000文字を10分でかけてしまう。心の潤いが足りていない。最近改善された生活で、補っていたのだった。

私を見てほしいし、見ないで欲しい。
かっこいいところや美しいところだけ映ればいい。でも私のダサいところもきっと好きになって欲しい。こんなワガママが言えるようになったのは、きょうたくんと付き合ってから。


自分を律していないから辛いのだ。
生活になんの制約もない。
時間も、量も、質も、なにもかも。
私は自分を律していないと辛くなってしまうので、最近はまた自分にルールを設けて、勝手に自分一人で守っている。

人に期待をしないこと。人を好きになりすぎないこと。でも、私は人を好きになりすぎたいし、裏切られたって人のせいにはしない。貴族の生まれだからである。

現状分析をしっかりすること。
もしコンプレックスや改善したい点があれば必ず取り組むこと。
人はできなかったことができるようになる生き物だから、諦めずにコツコツ取り組む。

たまに私も人間なので辛い気持ちになる。主に生理中に命の母ホワイトを飲み忘れた時くらいだけど。辛い時、無理に何かをするのではなく、ちゃんとコツコツ目の前のことに全力で取り組まないといけないと思う。
全力じゃないとダメ。そして全力を出すためには、睡眠、食事、娯楽も大切なのだ。


というわけで、今から一局打とうか。
私の作戦勝ちか、はたまた誰かの気まぐれか。