私の不幸を願う人にとびきりの幸あれ

というタイトルは嘘です。
私の不幸を願う人なんて全員この世から消え去ればいいと思う。
昔なら、割と頑張って思い込みで「私の不幸を願ってる人たちも幸せになって欲しいな」とか言うマインドがあったんだけど、そういう綺麗事みたいなのはもう言えない。私は毒になってしまったから。

同じくそう、あなたの不幸を願う人の意見に耳を貸す必要は無い。わたしたちには時間が無いから。
アドバイスと見せかけた自己主張と、他人を否定することでしか確立できない自己、全て醜い。人の事なんて、基本的にどうでもいいのです。あなたに執着してくるということは、きっと何かしらあるのだろう。

最短でも、遠回りでもいいから、美しい精神を確立したい。人への執着も、希望も、ちゃんと諦めて楽しく暮らしたいと思う。
「最初から諦めんな!」という人もいるけど、私だって全てを諦めてる訳ではなく、戦わなくていい場面でサッと身を引くことを覚えただけだ。私だって常に色んなものと戦っている。余計なものに体力を割かれるのって最悪だ。
とはいえ、ちゃんとアドバイスをアドバイスとして受け取れないのって最悪だ。嫌いな人の話だろうと、共感できる部分や納得できる部分はそこだけ切りとって大切にしていけばいい。その人自身を肯定することにはならないから、きっと大丈夫。

だんだんどうでもよくなるはず。
こんな文章を書いてしまうくらい、私はまだまだ人の言葉に傷つくし、人に対して期待している節がある。
私は偉くなくていいし、無神経な人も沢山いるし私自身も無神経なのだ。
他人の悪意に精神を削ることはせず、日々素敵なものに囲まれて生きていきたい。

お花を活けたり、本を読んで泣いたり、音楽を聴いて踊ったり、そういう日常を抱きしめる。
わたしのすてきなところ。ありがとうございます。

あの人が、獲得できないところ。
ごめんなさい

卒業アルバムの私の笑顔は何だったのか

時計の針が、緩やかに動いている。カチ、カチ、、と音を立てて時を刻むタイプではなく、ゆる〜っと止まることなく針が動き続ける時計。私はこのタイプの時計が大嫌いだ。気持ち悪い。

クリエイティブから逃げるな、と、神様から言われているような気がする。
ポートフォリオを作らずに済む企画職(大企業)を受けて、最終面接で落ちた。そのあと何社か受けて落ちて、あたらしく営業で受けて最終面接まで行った会社でクリエイティブを勧められている。
ポートフォリオを、作品を、説明をする場が設けられているのだ。

正直、内定を貰える気満々でいた。というのも、会社への志望動機やら自己分析やら、したい職種に対しての志望理由など入念に整理して、言語化して、準備していたからだ。我ながら、かなりやったと思う。もしそれで落ちたら、本当に合わなかったんだなあと逆に納得したはずだ。

怖い。とても怖い。作品のクオリティが見たいのか、それとも私の制作に対するマインドを見てくれるのか、なんなのか。とても怖い。
怖いが、ちゃんと向き合うしかない。
私は、もしかしたらここでちゃんとクリエイティブに向き合わなければ、一生逃げることになるのかもしれない。

なんか、流れで何となく上手くいく人達が羨ましい。私は、勝負に負け続けてきたし、挑むことも怖い。真剣勝負が、怖いのだ。真剣に頑張って、負けるのが怖い。臆病で最悪なのだ。

神様に、今度こそ逃げるなと言われている気がする。人生で1度でも真剣勝負で勝ってみろと、根性を見せろと言われている気がする。怖いです。なんで私ばっかりこんな!と思う。
私の周りの連中なんて適当に面接受けて適当に受かってると思う。ちゃんと真剣勝負を、したのだろうか。私が、人のこと見えていないだけなのかな。
真剣勝負が、できる環境ともとれる。みんなも就活で真剣勝負しなかっただけで、他の場面でたくさん真剣勝負してきたんだろうな。私もそろそろ逃げずに戦おうと思います。

戦士の誕生。

マックブックの上で、物件探し。

 

夜に、自室の電気を消して、パソコンを触っていた。

キーボードが光るので、便利だ。暗いところでもどこがどのキーなのかわかる。

暗闇に、文字だけがあった。可愛かった。光る文字。たまにキーボードの一つ一つが窓の明かりみたいで、街の風景が並んでいるようにも見えた。アルファベットとひらがなでできた街。可愛いと思う。もし住むなら、どの文字の物件に住みたいかな?「w」に住んだら、愉快そう。でも、可愛さ重視なら「め」とかだろうか。?の物件でもあるし。一度キーボードをじっくり見てみてほしい。あなたはどの文字の物件に住みたいっていうのかな。

 

私のことを「あなた」と呼んでくれる人、好き。あなた、ではないかも。「貴女」に限りなく近いのだ。

 

あと、好きなものといえば後輩の男の子だ。私の人生の好きなものリストからはずっと外れない、「年下の男」。

amazonのほしいものリストは、ほしいものがプレゼントされたらそのリストから商品が消える仕様になっている。

私の人生のほしいものリストから「年下の男」が消えたことは一度もない。私が、一度もプレゼントされたことがないもの。このまま多分されることはないのだろうな。受け取りの住所がないから。私は年下が好きと言いつつ、多分年下の男の子と付き合う元気がないのだ。

「年下」、と。

年上なんだけど、年上感のない男はほしいものリストにはない。

本質的に一番求めているのは明らかにそこなんだけど、ほしいものリストに入れたことは一度もないと思う。ほしいものリストに入ってるものって、「軽い」ほしいなのかもしれないな。私にとって、年上だが年上感のない男というものは多分そういうほしいじゃないのだ。ほしいとか、もはや思わないくらいフラットに、だけど一番深く求めているそれなのだった。

 

誰にどの物件が似合うか、キーボードの文字をぼんやりみながら考えた。

4、とかどうかな。いや、Lに住んでる男とか、いいかもななんて思った。そういえば、私は曜日や数字になんとなくイメージする色があったり、数字に性別のイメージがあったりするが、無い人も多いらしい。4のイメージは紫色、とか、日曜日は白とか、そういうなんとなくのイメージ、ないのか。無い人は、なぜないのだろう。ある人は、なぜあるのか、なんでだろうな。

私がこうやってアルファベットを見て、誰がどのアルファベットっぽいとかいうのも、他の誰かから見たら変なのかもしれないな。でもいい。私は、私サイドの人間の方が楽しいと思えるからだ。

アルファベットを見て、ニコニコしよう。

あなたはどの物件に住みたいですか。私はどの物件が似合うでしょうか。

 

あなたと私が住むとしたら、どこにしますか?教えてください。

 

 

 

 

 

玉虫色の夢に乾杯

夢に玉虫が出てきた。Googleで、夢占い 玉虫 で、検索。ヒットしたサイトを適当に見る。夢占いで玉虫は、凄く良いことを表しているらしい。何らかの幸福の暗示、と。
私にとっての幸せってなんなんだろう。
何か、いいことがあったらいいなと思う。

僥倖、という言葉を初めて知ったのは藤井聡太くんのインタビュー記事を読んだ時だった。
思いがけない幸せ、偶然の幸福、という意味らしい。広辞苑より引用。
僥倖かぁ、いいなと思った。当時メディアは、そんな言葉を使う藤井くんに対して、凄い人だと賞賛する言葉ばかりだった。私も、素敵な言葉を知っている人だなと思った。感性が綺麗なんだと思う。素敵な言葉を知っている人って、魅力的だ。そこからとっても大好きで大切な言葉になった。藤井くんともし会うことがあったら、この話をしたいと思っている。

好きな言葉に、惻隠の情、がある。
高校の時の校長先生が教えてくれた。
当時1個上の野球部の人達が、車のタイヤが溝にハマって動けなくなって困っていた人を助けた時の話だった。その車の主は、高校に電話をかけてきて、お礼を言われたそうで、そのあとにあった全校集会で校長先生は彼らを褒めたのだった。その時に言われたのが、惻隠の情、だ。
すごく平たく言うと、何かしらで大変な人に、あらあら、と思う気持ち、だ。
私も、ちゃんとあらあらと思える人でありたいと、常に気をつけている。私は、野球部の人みたいに力が無いから、タイヤを持ち上げたりは出来ないけども。。。倒れている自転車とかなら、起こせそうだ。交通委員だったし。




ハロー、ライン
ペイント、カラー
という歌詞の曲。とっても好き。
あれと、トモダチコレクションの音楽、好き。
あと、ふりそでーしょん。あれは、なんという長調なのだろうか。今度音楽がわかる人に聴いてみよう。
わたしだってハ長調くらいはわかるが、それだけなのだから。

明日はコロナワクチンを打つ日だ。
皆様も、お気を付けて。達者で。わたしは、

夕焼けを抽出して曖昧を描いた

夕焼けを見ていた。

ピンク〜赤と、グラデーションになっている。

夕焼けって曖昧で、その曖昧さが美しいのってずるい。曖昧って最悪なのに。

曖昧といえば、モネの絵かも。

どこが輪郭かわからない、ぼや〜っとしている。印象派の父?よ。

モネの絵見てると曖昧いいな。曖昧っていいですね。

とはいえ、私はモネの絵の良さがわかるようになったのって最近だ。中高生の頃は、なんて退屈な絵なんだろうと思っていたから。

その話を友人にすると、「わかる!大人になってから良いって思うよねー」と結構な人が言う。

曖昧の良さって子どもにはわかんないのかもしれない。そうなると、私ってまだまだクソガキだ。

 

モネって本当にすごくて、あの人の絵は目で見た色だと思うからだ。カメラだと捉えられないような微妙な色、あの人は、「曖昧」を切り取っていたのかもしれない。飛躍しすぎだろうか?

 

 

息継ぎを忘れてた

死ぬのが怖い。どれくらい怖いかと言うと、家が出られなくなるくらい怖い。
年に1度くらい、本当に死ぬのが怖くなる。そういうときは、家から出ると死んでしまいそうなので、家から出ない。これを理解してくれる人はいなかったが、最近初めて出会えた。

家から出られないんだよな。悪いけど…。
家から出ると、死が近くなってしまうんだよな〜…。怖すぎる。
うちらまだ死にたくないね。

サンダルを履いた。
サンダルを履いてきょうたくんと歩くと絶対1回は足を踏まれるので痛くて毎回怒ってしまう。
絶対に踏まないで欲しい。マジで。

あと踵も踏んでくる。
人のかかとふむ人って、いじわるだよな?彼は意地悪のつもりでやってないけど。
てか、人のかかともつま先も普通に歩いてれば踏まなくない?どんだけ不注意なんだよと思ってしまいますね。


私もあの子も、息継ぎを忘れていただけ。
息継ぎをして、また泳ぎはじめようか。

サバイブ!人生

君たちはどう生きるか」・・・タイトルしかわからないけど。

書店で働いていた時に、陳列で見た。君たちはどう生きるか、私はねえ、と勝手に自分語りをしてみるか。

どうやって生きていくか、心持ちなのか、生計の立て方なのか、なんなのか。就職活動をしていると言われる、「将来はどうなっていたいですか?」と。

将来はどうなっていたいですか?か。私は、全人類の母親のような心の広さ、欲しい。自分で獲得するのだ。私が母なのですよ、、と。

女神になりたい。魔女ではなく、女神様に。

美しさは何物にも代え難い。ただ、手放すことや執着は良くないので、見た目の美しさに関しては早々に諦めようと思う、今も諦めているようなものだ(したくない日は、体毛を剃らない、化粧をしないなどがよくある)。

多くの喜びを経験して、悲しみも手に入れて、一つずつ諦めていく。諦めるというのは、むしろいいことだ。井の中の蛙、大海を知らず。されど、空の青さを知る。

大海こそしらないけど、空の青さを知っているから。諦めって、気持ちいいのだ。

 

この間、好きな教授の奧さんに会った。

奧さんは気さくな人で、面白くて、優しくて温かい人だった。あ、敵わないな、と思った。

そういう気持ちいい負け、どんどんくださいな。私が敵わないな、って、気持ちよく思えたら、きっとそれでいいのだな。

諦めて、肩の力を抜いて、また上を見て見たら、私は今度こそ空の青さに気づけるだろうな。昔の恋愛も、家庭環境も、なにもかもに対してフッと諦めてみる。昔から諦めるのも得意でしょうが。

諦めは、魅力。諦めこそが、色気。

くたびれたものが発揮する色、なかなかお気に入りです。